最終更新日:2010年10月5日
大正時代に、現在の二子玉川駅南側の多摩川沿いには、13〜4軒の料亭が立ち並び、当時、世田谷一の歓楽街としてにぎわっていました。主だった料亭は、それぞれで何艘かの屋形船を持っていました。屋形船の定員は10人ほどで船頭は2人。網を打つ小船を従え、客の目の前で鮎などの川ざかなをとって、その場で料理しました。納涼船は砂利船の転用で、定員30人ほどで、川の中ほどで涼風を受けながら料理を楽しみました。
大正10年頃には、多摩川堤防工事が玉川辺りまで進み、立ち退き問題が起こりました。この時、料亭は川から離れるわけにはいかないので、洪水になったら立ち退くことを条件に、堤防内に(つまり河川敷に)残ることが許されました。
昭和になって、軍事色が濃くなるにしたがって、行楽客が減り衰えていきました。戦時中、一部の料亭は溝ノ口の軍事工場へ通う工員の宿泊所に使われました。
参考:特別展「玉電」−玉川電気鉄道と世田谷のあゆみ−(平成元年12月13日、世田谷区立郷土資料館発行)
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